apple banana orange

バッグひとつ、スニーカーを履いて。

村上春樹さん公開インタビューin京都大学

先月のことになるけれど、京都大学での村上春樹さん公開インタビューに行ってきた。もちろん保証なんてなにもなかったわけだけれど、なんとなく当選するような気がしていた。少なくとも、当たっても良いくらい村上さんのことをずっと好きで生きてきた。抽選結果のメールが届いた時は、怖くてなかなか開く気にはなれなかった。席をご用意できました、という文章をみて、胸がほのかに温かくなった。関係者枠ももしかしたらあったのかもしれない。でも主催の河合さんが、「親戚中みんなで応募したけど、2枚しか当選しなかった」とおっしゃっていたので、基本的には公平に抽選が行われたんじゃないだろうか。僕はもちろんなんのコネもないので、インターネットで普通に応募しただけだ。

会場にはマスコミの人が大勢取材に来ていたけれど、そそくさと避けて時計台に入った。それでも、チケットをもぎってもらう時は、たくさんのフラッシュを浴びることになった。僕なんかを撮ったって、なんの価値もないだろうに。いろんな素材を集めておくのは大切なことだけどね。以前ちょっとだけテレビ局でニュース番組取材のアシスタントの仕事をやっていたので、気持ちはよくわかる。

はりきって早く行き過ぎたので、入場してから開演まで1時間半も待つことになったわけだが、本を読んだりiPhoneをいじったりする気にもなれなかったから、ひたすら入場してくるひとたちをぼーっと観察していた。そうか、この人たちが(おそらく)村上さんの熱心なファンなのかー、あんなかわいいお姉さんも!とか考えているうちに、時間は過ぎていった。完全に僕の見間違いだろうが、菊池凛子さんっぽい人がいた。おそらく違うだろう。映画ノルウェイの森に出演していたから、いてもおかしくはないと思うが、本人だったら、もっと周りとかマスコミも騒ぐよね。でもまあ凛子さんっぽい人も当選おめでとうございます。あと、ほぼ日刊イトイ新聞乗組員のシェフ武井さんっぽい人もいた。これは95パーセントくらい本人だと確信している。

受付で渡された緑色のプログラムを見ると、最初に村上さんの講演があったから驚いた。公開インタビューだけじゃないんだ、、、わお!

そうこうしているうちにイベントが始まって、村上さんがひょいひょい歩いて出てこられたのを見て、良い意味で彼の普通さがうれしくなって、それだけで満足してしまった。ずっと憧れて空想しているだけだった人が近くにいて、普通さがうれしいなんて変な話かもしれないが、そこが村上さんの魅力なんだ。バスローブを着て、オーラ全開でワイン片手にナッツをつまみながら登場するようなことを、読者は求めていないのだ。本人を見たら、もしかしたら(感激で)泣くかなと思っていたが、そんなことはなかったし、それでいいのだ。

小説以外にも、彼の書いたエッセイが好きなんだけれど、中でも「遠い太鼓」というのが好きで、時々読み返している。けっこう昔の本だし、遠くの話だし、読んでいるあいだは時空を超えて村上さんを近くに感じるんだけど、やっぱり文字の中に本人を想像するしかなかったから、本人を実際に見ることによって、僕の中で彼の小説や、特にエッセイが現実世界とつながったことは大きな収穫だった。

マスコミが期待しているのは、この混迷の時代に村上さんなら世界の本質を語ってくれるんじゃないかというようなものだと想像するんだけど、彼は預言者じゃないし、毎日を丁寧に楽しんでいる普通のおじさまなのだ。講演やインタビューの内容は、新しい情報が満載というわけでもなく、熱心なファンならどこかで読んで知っていることも多かった。朝はやっぱり鴨川をランニングしていらっしゃたようだし、三条のような繁華街をぶらぶら歩いていることもあるらしい。

最新作の「多崎つくる」で外国に行く場面があるけれど、雑誌の企画で外国へ行くから、小説の舞台もその国にして、ついでに取材して使おうと思っていたが、取材に行く前にその場面を書く段階にきてしまったので、結局想像して書いた、なんていう話もあった。その後、実際に取材に行ったら、小説の中で書いた車とまったく同じ色と車種のレンタカーが用意されていて驚いたけど、そういうことってあるんですよ、といった話などがあった。

気取り過ぎているから彼の小説が嫌いという人も多いけど、僕は特に違和感なく気に入っているし、ここち良い文章だなと思う。

特別なことをして、特別な人間になろうとしているわけではないのに、みんなに特別な存在だと感じさせてしまうところが、彼のすごさなんだと思う。特別になりたい人は、世界で1つだけの物を所持してみたり、変わった衣装で着飾ったり、お金の力で一生懸命自分を演出して特別だと思ってもらおうとすることがある。だが村上さんにはそんなものは不要だ。彼は、手頃な服を着て、気に入ったシューズを履いて、時にはフォルクスワーゲンに乗ってみたり、丁寧にジャズを聴いたり、ブックオフで250円均一コーナーのCDを漁ったり、落ち着いて本を読んだり、仕事をして穏やかに生活しているだけだ。そして今日もきっと普通に生活を楽しんでいる。彼を特別にしているのは、その魂の深さであって、様々な経験をし、考え抜いて生きてきて備わったものだから、買うことができるものではないし、そこまでたどり着ける人はほとんどいないんじゃないかと僕は思う。